いちいち本レビュー

たんたんと本の感想を書いていくブログ。書評よりもっと軽いメモみたいなもの。

「死の家の記録」/ドストエフスキー

死の家の記録 (新潮文庫)
by カエレバ

★★★★★

長かった。

凄まじい人物描写にずんずん引き込まれます。

死の家とは収容所のことを指しているのですが、様々な囚人たちの描写、または体罰を与える人たちの描写、どれも人間の本質を見事についている。

ここに描かれている人たちは特別ではなく、普段の私たちの生活において、もしくはネットでも出くわす人たちだ。

ドストエフスキーの人間観察の鋭さは圧巻。

聞かずにして、会わずにして、話さずににしてある種の人間の考えを知ることが出来たような感覚。

心に留まった部分を引用。

人間は果たしてどこまで墜落し、卑怯になることができるのか、何の苦もなく悔いもなく、いったいどこまで自分の内にある道徳的感情のすべてを圧殺してしまえるものなのか――

この男こそがもっとも唾棄すべきその標本であった。

私はこの唾棄すべき存在を、あたかも一個の怪物のように思い出す。何年もの間、人殺しや放蕩者や極めつけの悪党に囲まれて過ごした身であるが、正直な話、その私にしてもこのAのように心の底まで荒みはて、墜落しきって、人をくったように卑しい男に出会ったのは、あとにもさきにもこれきりであった。

(略)

私は何も誇張してはいない。Aの本性ははっきりと見抜いている。仮に人間の肉としての半身が、内面の規範や法によって一切抑制を受けなかった場合に、果たしてどこまで暴走しうるのか――Aはその一例なのである。

心に誓ったのだ――この連中に妥協したりして、みずからの教養を、思想を辱めるようなまねは決してするまいと。もしも私が連中のご機嫌を取ろうとしておもねり、話を合わせ、馴れ合って、いろんな点で彼らの「レベル」まで身を落としたりすれば、彼らはすぐさまそれを恐怖や臆病心の仕業だとみなして、私を侮ることだろう。

作業が私を救い、健康を促進し、体を鍛えてくれるかもしれない――そう私は感じていた。絶え間ない不安、神経のいらいら、檻房のよどんだ空気のせいで、そのままではすっかり廃人になりかねなかったのだ。

「できるだけ外気に触れ、毎日疲れるまで体を動かし、重い荷を運べるようになれば、少なくとも自分の命は救える」と私は思った。

こうした人を人とも思わぬ尊大さ、俺は何をしても許されるのだといわんばかりの誇大な自信は、きわめておとなしい人間の心にも憎しみを芽生えさせ、堪忍袋の緒を切らせてしまうのである。

何らかの目的と、それを目指す意思がなければ、どんな人間も生きていけない。目的と希望を失った人間は、しばしばやりきれなさのあまり怪物へと変身する……。

「どうしてお前さん方が俺たちの仲間なんです?」という彼の問いには、まったく作り物でない素朴さと、心の底からの当惑がにじんでいた。

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